『ALTER EGO』を遊んだ日に見た映画の話
Welcome to Fight Club.――映画『Fight Club』より
そういう映画だと思ったんですよね当初は。どうもサイトロです。
タイトルに『ALTER EGO』ってあるのにエスの静謐な佇まいについて語らないとは何事かと思われますが大丈夫です、今回は1999年のアメリカ映画『Fight Club』と、2018年に配信開始されたiOS向けアプリケーション『ALTER EGO』、二つを一夜にして見て遊んだことについて書き残します。
やっぱりエスの佇まい良いよなぁ。
ブラピもかっこいいぜ。
ほぼ日記としての意味合いしかなく、それでもこの体験を両者を知る人に知ってもらいたい、そんな情熱の一心です。当然ながら両者の致命的と言えるようなネタバレがあるのでご了承ください。二時間の映画は二時間で見れるし、『ALTER EGO』は大体一週間くらいあればどんなものであるか理解出来る(し、アプリと書きつつも難しいゲームではないので)ので、どうか両者を知らない人はこの先を読まずに、実際に触れてもらいたい。
1. 2/16真夜中目前
2. 2/17早朝
3. 2/17夜
4. 『ALTER EGO』と『Fight Club』、規律と衝動
改めて思うけれど、実体験から生じる情熱ほど熱いものもないのだから。
1. 2/16真夜中目前
『ALTER EGO』自体はもっと前にインストールしていて、ちまちまと遊んでいた。この日から物語の輪郭――エスと壁男、そしてプレイヤーの立ち位置に対しておよその理解を得て、一周目では『規範的な自己』が災いして、エスは何処かへと消えてしまった。
二周目を始めるかと思い立つ前に、ふと翌日のことを思った。日中原稿をすれば(休みの日は趣味の小説を書いているんだよ)夜は時間が出来そうで、二月は1本も映画を見ていなかったので、何か見ておこうと思った。
そうしてAmazonを開いた。21世紀の地球では映画館に行くよりも早くAmazonを開けば映画が見れる。22世紀ではどうなっているだろうか。ともあれ映画を見ようと思ったら、『Fight Club』の名が止まった。最近友人が見ていたこともあったし、名前を知っていたこともあって、翌日の夜に見ることにした。
まさか今こんなに文字打つとは思わずに。
元々はミスチルのお陰で名前だけは知っていた。
さて真夜中の話はもう少しだけ続く。映画を選んで満足すればいいものを、行ける所までなら良いかと『ALTER EGO』を進めてしまった。二周目である。既に近しい経験をした方々ならばご承知だと思うけれど、『規範的』な結末を迎えてしまえば、次に見るのはその対となる、『衝動的』な結末へと進んでしまうだろう。自分だけかもしれないけれど。
ともあれ選んだ。ページを猛烈に捲り、エスの衝動を肯定し、その結果、見た。
あの表情めちゃくちゃ怖くないですか!?!?!?!?!?!?!?!
あの表情はここで見れるよ!!!!!!!!!!!! 思い出して二度怖いわ!!!!!!!!!!!
いやこれを見た後にちょっと部屋出たらめちゃめちゃ暗くて、想像してもらいたいんですが壁男と会うシーンみたいなんですよ光景が。いや出てくるんじゃないかって久々に震えましたよ。出ない出ないって呟きながら自宅を走る25の夜。
正直これを書きたくて今回の記事を書いた節がある。
そんなこんなでなんとか二周目が終わり、『ALTER EGO』というゲームが何を目指しているかが、大体分かる。その時は『Fight Club』のことは忘れてしまっていた。
夢の中でエスのあの表情が出てこないことを祈りながら眠った。
……今晩も出ないでほしい……。
2. 2/17早朝
何とか怖い夢は見ずに目覚める。早速『ALTER EGO』の三周目を見終える。良かったと安堵する。
規律と衝動の中庸、両者と上手く折り合いを付けて生きて行ければいいと思う。そのきっかけとして、エスという存在が居てくれたことは、自分の中では当初思ったよりも大きなものになった。第三章の途中くらいの、悩みを記述するところ。ちょうど精神的に参っていたこともあって、僅かながら本心を書いてみた。それは『問題未定』と判定されたけれど、確かに、聞いてほしかった話だったのだ。
改めて『ALTER EGO』に感謝したい。また時折遊びたい。
そう思ってから原稿を始めた。映画のことは、いつみるかを考えるくらいだった。
……まさか二つが相関するとは思わずに。
3. 2/17夜
夕飯を食べてから、すぐに『Fight Club』を再生した。
ブラッドピットの顔を覚えている自信がなかったので、当初は『I』がそうなんだと思い違いをしていた……いやまぁそれはそれで正解なところが今回の面白い所ではある。実際ブラピは出てきたらすぐに『ブラピだ!』と分かった。飛行機でのシーンは平凡なサラリーマンである『I』との対比――身に着けている濃い赤のジャケットだけが印象的で、当初タイラーのことを成功者として置いたのかと思った。実際はその精神性、破滅的とも思えるような情動が差異だったのだけれど。この辺りではまだ気付いてない。
最初は『Fight Club』という居場所から、『I』が何かを見出す物語だと思った。そういう暴力の末に正直さや強さを見出す? みたいな? ヘレナ・ボナム=カーターが演じるマーラが車道の真ん中から呼びかけるシーンすごく良いですね。思い返すと、彼女が出て行くシーンでは、『I』とタイラーの三人でかち合わないように絵作りが為されていた。いい構図だと思ったけれどなるほどである。
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余談だけれど『オーシャンズ8』でヘレナ・ボナム=カーターが好きになった。ハリー・ポッターシリーズでもよく見ていた顔だったこともあったんだろう。
サブリミナル効果の話や普段お見かけ出来ないような強烈なシーンに驚きながら、辿り着いた『I』とタイラーの関係の真実。そもそも、見終わるまで『I』に本当の名前がなかったことには気付けなかった。繰り広げられる自作自演の戦いはどう撮影したんだろうと思いながら、最後の最後――ビルが爆発した瞬間に、一つの気付きが訪れる。
その熱が、今も消えない。
4. 『ALTER EGO』と『Fight Club』、規律と衝動
『Fight Club』に於ける『I』とタイラーは、対の関係にあった。規律に従順で、マーラを守ろうとした『I』。そして、破滅的で、目的のためにマーラを殺そうとしたタイラー。
これを『ALTER EGO』における二つの結末――規律を守るが故に情動を抱えたエスと分かたれた時と、情動を許したが故に暴走したエスを見ていた時とを重ねるのは、いささか無理やりかもしれない。
それでも書かせてほしい。
『Fight Club』の最後は、情動が起こしたビル爆破を止められずに、しかし『I』はその出来事を受け入れるかのように、マーラの手を取った。思い方次第ではあるけれど、『I』がタイラーを受け入れたかのようにも、思えなくもない。受け入れるしかなかった、とも思うけれど。今まで他人がしていたと思っていたことが、全て自分を原点にして動いていた。自らを『台風の中心』と称していたのは間違いではなかった。『規律』と『情動』が重なり合うことで、ようやく一人に戻れたことは、幸福なのだろうか……。
どちらも、一方が大事であるとか、もう一方を否定することはない。ただその両者が――世間という巨大なものが作り出す規律と、その内側で牙を研ぐ強烈な情動が、人生の中には存在していると、自覚するには至った。これは間違いないと思いたい。誰に間違いだと言われるでもないけれど。
見終わったばかりの『Fight Club』については特に理解が浅いと思っている。二人の人格は単語一つで形容出来るものではないし、サブリミナル効果を用いた表現についても把握しきれていない(最初は画質の悪い映画なんだな、程度の理解だった)。それ故にまた機会があれば見なければならないと思う。それだけ強い引力を持った映画だった。人は時に暴力的なものに惹かれてしまう……だからといってそれに準じてもいけないとは思います。
『ALTER EGO』ではエスとの物語を繰り返すことで見られたものが、『Fight Club』では二人の異なる人格によって表現されていた。
錯覚かもしれないけれど、今日そう思えたことは覚えておきたくて、ここまで書いた。
テンションが段々と沈降していく様が如実に出た記事になってしまった。もっとエスのいいところの話とかする予定だった気がする。それはTwitterの方に思い出し思い出し書いていくことにする。
再三になるけれど、ほんとうに良い経験があった。コンテンツが数多と生まれる昨今、根底に有る理念や理論が似通うことはそう珍しいことではないけれど、それを自分の偶然で選び、また見出すことが出来ること、それを喜べることは、人生で好きなことの一つのように思う。
そんな自我を大切にしていきたいものだ。
私は、いつでもあなたの側にいるから。