DEATH STRANDING MeMo #1

「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の一つだった。「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。「なわ」と「棒」は、人間のいるところならば、どこにでもいた。
安部公房『無関係な死・時の崖』

 「なわ」を求めて三年経ちました。どうもサイトロです。

『DEATH STRANDING』めちゃめちゃやっている。正直こうして文字を打つ間にもコントロールを持ちたくて仕方がない。今日で中部大陸のメインストーリーが終わったらしいので、早くフレッパーズの好感度を上げに行きたい。新しく使えるようになったあれこれを試したい。フォトジェニックな一枚を撮りたい。荷物運びたい。

 それでも書く。『DEATH STRANDING』というゲームを遊んだ記録として、現時点での謎や疑問点、所感などをつらつら書いていく。半ばツイッターと一緒。

 ここから先はストーリーなどのネタバレが含まれる、多分核心に触れることは無い。ほぼほぼ個人の備忘録。#1と書いたんですが#2は多分クリアした後に書くことになりそう。

 では早速、座礁した世界の備忘録へ。

 

 

・『なわ』のゲームなんだろう?~It's a "Stranding game"?~

 この気持ちを書き起こしておこうと思ったので、真っ先に。
 chapter4にてクリフが登場し、サムはその手にアサルトライフルを手にした。勿論このシーンはPVでも何度か見かけていたのだけれど、いざサムがその指先を引き金に掛け、オレンジ色の発光と共に銃弾がはなたれると、予想以上にショックだった。
 ガンアクションに抵抗があるわけではない。『DEATH STRANDING』が楽しみすぎて、先月まではMGSVを散々遊んでいた。麻酔銃もスナイパーライフルもどんどん使っていった。MGSV自体は『銃を使ってもいいし、使わなくてもいい』(と、大部分の場面では選択出来る)ゲームなので、自分の場合はその都度楽な手段を使っていたように思う。
 一方の『DEATH STRANDING』においては、銃を推奨される場面は少ない、と思われる。ストーリー上、行き当たり上サムは銃を手にしたけれど、現実ではそうそうライフルを撃てない。言うまでも無く『DEATH STRANDING』現象のせいである。一度だけ、南側の山辺に大きなクレーターを作ってしまったけれど、なかなか悲惨だった。

 そんな世界で銃を装備出来るという選択肢なのである。『銃を使ってもいいけれど、使ってはいけないだろう?』と問われているような、そんな恐怖が付きまとったので、chapter4が終わるなりプライベートボックスにしまった。モールガンや電磁グレネードは手持ちにしているけれど。

 冒頭に書いた安部公房の言葉は、『DEATH STRANDING』が発売された当初から引用されていた。よいものを引き寄せる『なわ』が出てくるゲームなのだと思っていたから、『棒』がこういった形で出てきたのは、結構なショックだった。そう思えたこと自体が妙に新鮮でいい。

小島 はい。僕は安倍公房のファンなんですけれど……皆さん、日本人でよかったですね(笑)。海外の記者はここわからないですから(笑)。で、安倍公房の作品に『なわ』という短編小説があってですね、これを高校のときに読んだんですけど、そこで定義がされているんです。人類が最初に発明した道具は棒である。棒は、悪しきもの、敵対する者を遠ざけるために発明されたものである。それをもってして進化した。『2001年宇宙の旅』でも、猿が骨を持っていますよね。あれは棒じゃないですか。武器なんです。それで、つぎに人類が発明したのが縄である。縄は、逆の発想で、自分がつなぎとめたいものを引きつけて、縛る、括り付けるという道具なんです。いまも棒と縄という道具を人類は使っている、という定義がなされているんです。それで、よくよく考えてみると、いまのゲームって、オンラインもマルチプレイCO-OPもありますが、棒なんです、使っているのは。銃とかナイフとか。人を殴ったりすることでのコミュニケーションがなされている。このゲームはそのつぎに行こうとしている。当然、棒も出てきますよ! 勘違いされると困るので、そこは言っておかないと。「ということは、マルチプレイで縄を使うのか」なんて言われたら困りますから(笑)。そんなゲーム、誰もやってくれない(笑)。棒も使いますけど、縄的な思考でつながる話なんです。それはストーリーも世界観も、ユーザーどうしもそうです。あるいは実況者だったり。全部“STRAND”する。いま、そのあたりの実験をしています。

引用元:『DEATH STRANDING』小島秀夫監督インタビュー 物語もゲーム性も“つながる”ことがテーマ【E3】2016(https://www.famitsu.com/news/201606/16108560.html

 改めて読むと、『棒』も出てくると書いてある。ただ、その棒の持ち方は常にユーザーに託されている。ミュールに対してぶっ放してもいいけれど、その責任は自分で取らなければならない。
 責任だけは、誰とも共有できない。

 

・『DEATH STRANDING』後の経済~Economy after "DEATH STRANDING"~

『DEATH STRANDING』には通貨が出てこない。
 MGSVではGMPの運用でいつも悩んでいた。新しい武器がほしいのに、とにかくGMPが足りない。だから小さな武器を鹵獲しては売り払ってちまちまと稼いでいた。まぁ今でも道に落ちている荷物を運んでいいねを稼いでいるので、そんなに大した違いはない。
 通貨が無い。サムがどれだけ荷物を運んでも、報酬として貰えるのは新たな装備や荷物であって、決して金銭的な対価は生じない。今の彼の暮らしからして金銭を必要としている訳ではないから、不自然でないといえばない。
 そもそも『DEATH STRANDING』以降に経済は、というか通貨の概念はどうなってしまったんだろうか。妄想してみる。もしかしたら、ゲーム内にて答えが示されるかもしれないし。
『DEATH STRANDING』現象によって地域が分断され、数万人規模の都市が単独で生存するしかない状態。そんな中で通貨が正しく機能するのか。『DEATH STRANDING』現象を起こさないために――人の死亡をなるべく予防するべく、大半の事業が無償化され、互いに労働を供与し合う、支え合わざるを得ないような状況になっているのではないだろうか。通貨を挟まずに、労働と労働で交換が成り立っている。技術は進歩しているのに、社会の成り立ちが逆行しているような感じだろうか。

 今のように拡張と増大を目指しているのではなく、シェルターの中でただ現状を維持し続ける人々。サムは大自然の中を闊歩しているけれど、あの世界の大半の人々は、閉ざされた塀の中で鬱屈としているのだろうか。

 そういった社会の成り立ちや、人々を容赦なく巻き込む巨大なものがあると、実にSFだなぁと個人的には満足している。

 

 とりあえず今日はここまで。雑文ご容赦。この後ラジオにメールも書きたいのだ。星野源さんに『DEATH STRANDINGで繋がろうぜ~~~~』と書きに行く。まだまだ書き足りないので#2はありそう。

人類は自由になった両手で、何をつかむのか。 
――『DEATH STRANDING』

 勿論、私がコントローラから手を離せれば、の話である。